ツアースケジュールに加え、バンドは80年代に2枚のアルバムを自主リリースしました。4曲入りEP『Deathwish』とフルアルバム『Let Us Prey』です。どちらもカルト的な人気を博し、レコーディングとミキシングはわずか4日で完了しました。バンドはまた、モーターヘッドのアーティスト、ジョー・ペタニョ(オーヴァーキル、ボマー)に連絡を取り、カバーアートワークとなる「Sacred Lay」という曲を提供しました。アルバムが完成し、メガデスの初のオーストラリアツアーのサポートアクトを獲得したことにより、次のステップが見えてきたかに見えました。しかし、デイヴ・ムステインの健康状態への懸念からツアーがキャンセルとなり、多くの準備は突如中断されました。
その後まもなく、オリジナルメンバーのウーリー、シャム、カールの3人はピーター・ホッブスからバックバンドとして、後に「Hobbs Angel of Death」となるデモを録音しないかと打診されました。デモセッションが完了すると、ホッブスはドイツでのレコード契約を獲得。彼はバンドメンバーにフルタイムで参加するよう誘いましたが、シャムとカールはSacredに残ることを希望したため、ウーリーはその機会を逃して脱退しました。 Sacredはその後も数年間活動を続けましたが、世界各地と同様にオーストラリアの音楽シーンも変化し、90年代初頭にはバンドはほぼ活動休止状態に陥りました。Sacredのライブは稀少なものの、ラインナップに追加されたことでチケットの売上は常に増加しました。