ブライアンとミックの2人は、翌1982年にスティーヴ・バード(g)、ゲイリー・ヤング(ds)と共にAVENGERを結成。デモ・テープを制作してその中から"Hot 'N' Heavy Express"を『Neat Records』のコンピレーションEP「One Take No Dubs」に提供すると、続いてギタリストをジョン・ブラウンレスに代えてデビュー・シングル「Too Wild To Tame」をリリースする。しかしながらこのシングルの発表前に、ブライアンは同郷のSATANに加入。代わってSATANのシンガーだったイアン・スウィフトがAVENGERに加入して活動を続けることになる(彼は後にATOMKRAFTでも活動した)。
スティーヴ・ラムゼイ(g)、ラス・ティピンズ(g)、グレアム・イングリッシュ(b)、ショーン・テイラー(ds)にブライアンを加えた5人の編成で、SATANはNWOBHMの名盤として現代まで語り継がれる「Court In The Act」をレコーディング、著名な『Dynamo Club』での公演も含むオランダ・ツアーを行なうが、最終的にブライアンとSATANは袂を分かつことになる。バンドを失ったブライアンはマネージメントを手掛けるようになり、LONE WOLFというバンドの面倒を見るようになるが、レコーディング直前にシンガーが脱退。結果的にブライアン自らが歌うことで、3曲入りEP「Nobody's Move」はリリースされた。
〜復活〜
その後、音楽の世界から引退していたオリジナル・ギタリスト、ジム・シロットを呼び戻すことに成功したブライアンは、ミック・ムーア、SATANで活動を共にしたショーン・テイラーに、ミック・プロクター(g)を迎えてBLITZKRIEGを再結成すると、1985年にデビュー・アルバム「A Time Of Changes」をリリースする。このアルバムには、SATAN時代の盟友、ラス・ティピンズの他、AVENGERでシンガーの座を交代することになったイアン・スウィフトもゲスト参加していた。またこの頃、METALLICAのドラマー、ラーズ・ウルリッヒからブライアンの元に一本の電話がかけられた。"Blitzkrieg"をカヴァーしたいという彼の申し出をブライアンは快諾。こうして「Ride The Lightning」からのシングル、「Creeping Death」のB面に収録されたこのカヴァーは、長きにわたってバンドに注目をもたらすことになる。
アルバムの発表後、数々のメンバー・チェンジを経ながらも地道に活動を継続、2本のデモ・テープと2本のビデオを制作、1991年にはバンドのデビュー10周年を記念してデビュー・シングルをリレコーディング、新曲3曲を加えてEP「10 Years Of Blitzkrieg」としてリリースする。そして1995年、『Neat Metal』レーベルを設立してメタル・シーンに戻って来た古巣『Neat Records』より、10年振りとなるセカンド・アルバム「Unholy Trinity」をリリース、遂に本格的な復活を果たす。日本盤もリリースされたこのアルバムのラインナップは、ブライアンと1989年よりブライアンを支えたトニー・J・リドル(g)、SATAN時代の盟友ショーン・テイラーに、デイヴ・アンダーソン(b)を加えた4人だ。また、VENOMのクロノス(vo)、元SATAN〜BATTLEAXEのイアン・マコーマック(ds)、『Neat Records』のハウス・プロデューサーとしても知られ、このアルバムのプロデュースも担当したキース・ニコル(g)、「A Time Of Changes」発表後にジムの後任を務めたギャヴ・テイラー(g)がゲスト参加、彼らの復活に花を添えた。
翌1996年には、ブライアンとトニー以外のメンバーを一新、フィル・ミラー(g)、スティーヴ・アイルランド(b)、ポール・ホワイト(ds)を迎えて、「10 Years Of Blitzkrieg」に収録された5曲をリレコーディング、新曲5曲を追加した企画盤「Ten」をリリースする。このアルバムでも、プロデュースを務めたキース・ニコルがハモンドで参加した他、レーベル・マネージャーにして元TYGERS OF PAN TANGのシンガー、ジェス・コックスがバック・ヴォーカルで参加した。その後、日本発売は見送られたものの、1998年にはブライアン以外のラインナップを一新して『Neat Metal』から「The Mists Of Avalon」を発表。METALLICAの新旧カヴァー曲を集めた2枚組のアルバム「Garage Inc.」がリリースされたことで、再びBLITZKRIEGにも注目が集まる中、バンドは活動を継続、1999年にはRAVEN, SWEET SAVEGEらと共にニュージャージーで開催された『March Metal Meltdown』に出演、初のアメリカ公演を行なった。
〜SATAN、そしてBLITZKRIEG〜
その後、トニーが復帰、ブライアン、トニー、ポール・ネスビット(g)、アンディ・ギャロウェイ(b)、フィル・ブルイス(ds)という編成にて、2002年、ジェス・コックスのレーベル『Edgy Records』から「Absolute Power」をリリース。この年には、スウェーデンの『Motala Metal』やアメリカの『Metal Meltdown IV』、ドイツの『Wacken Open Air』といったフェスティヴァルにも出演を果たした。2004年には、トニーの代わりに現在まで在籍するケン・ジョンソンを迎えてライヴ・アルバム「Absolutely Live」をジェス・コックスの新レーベル『Metal Nation Records』からリリースする一方で、ブライアンはSATANの「Court In The Act」の編成による『Waken Open Air』出演に携る。この一夜限りの再結成は、足のケガのためにドラマーのショーンが参加できず、代役としてBLITZKRIEGのフィルが参加して行なわれた。
続いて2005年にはベーシストにフィルの兄弟、ポール・ブルイスを迎えて「Sins And Greed」を発表する。このアルバムのプロデュースを担当したのは、元TYGERS OF PAN TANGのギタリスト、フレッド・パーサーだ。2006年には、ポール・ネスビットの後任にガイ・ラヴェリックを迎えてSAXONのUKツアーのサポートを務めた他、『Sweden Rock Festival』への出演を果たすと、翌2007年にはドイツの『Armageddon Music』と契約。そのSAXONのフロントマン、ビフ・バイフォードがコ・プロデュースを務めたアルバム「Theatre Of The Damned」をリリースする。また、バンドは同年、三度目となる『Wacken Open Air』への出演も果たした。
2009年には『Bloodstock Open Air』(イギリス)、2010年には『Bang Your Head』(ドイツ)、『Hard Rock Hell』(イギリス)といったフェスティヴァルにも出演すると、翌2011年にはブライアンがSATANの「Court In The Act」の編成による再結成に参加。4月の『Keep It True XIV』に遂に5人が揃って出演を果たすと、この時の反応に気をよくした彼らは活動の継続を決意。ロンドンでヘッドライナーとしてのショウを行なった他、翌2012年には『Metal Assault II Festival』(ドイツ)、『Zwarte Cross Festival』(オランダ)、『Ages Of Metal Festival』(ベルギー)といったフェスティヴァルへの出演も果たした。この間に残されたBLITZKRIEGからはリズム隊のブルイス兄弟とギターのガイが脱退。ブライアンの息子で、オリジナル・メンバーのジムを含む歴代のギタリストからレッスンを受けたアランをギターに、ビル・バクスター(b)とミッキー・ケリガン(ds)をリズム隊に迎えてバンドを建て直す一方で、ブライアンは再結成SATANのこの編成では30年振りとなるニュー・アルバム「Life Sentence」のレコーディングにも携る。
〜ファン待望のニュー・アルバム〜
SATANのアルバムのレコーディングが終了すると、間もなくBLITZKRIEGのレコーディングを開始。SATANとしてのライヴ活動や、BLITZKRIEGと盟友AVENGERによる南米ツアーなどを挟みながら作業は継続され、2013年8月、遂にアルバムは完成する。「Back From Hell」と名付けられたこの通算7枚目のアルバムは、2013年11月、日本盤のみボーナス・トラックを3曲追加してSPIRITUAL BEASTよりリリースされる。