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Cocoa Tea
ココ・ティー

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COCOA TEA(ココ・ティー)
レゲエのアーティスト/エンターテイナー・メッセンジャー・教師・人道主義者

COCOA TEAは、レゲエ界で最も有能で多才なアーティストの1人です。アルバム、ライブのいずれでも、スムーズで穏やかな歌声が彼の特徴。「I Lost My Sonia(アイ・ロスト・マイ・ソニア)」、「Tune In(チューン・イン)」、「Rocking Dolly(ロッキング・ドーリー)」などの曲はレゲエ界で大人気となり、国際的に高い評価を得ています。

COCOA TEAの素晴らしい誠実な音楽は感銘を呼び、尊敬されており、恵まれない人々のために非常に寛大で親切であることでも知られています。 

COCOA TEA、本名Calvin George Scott(カルバン・ジョージ・スコット)は、1959年9月3日にジャマイカの南に位置する教区Clarendon(クラレンドン)のRocky Point(ロッキー・ポイント)で生まれた。同町にあるSalt Savannah Primary School(ソルト・サバンナ小学校)とClarendon(クラレンドン)のLionel Town(ライオネル・タウン)にあるBustamante Junior Secondary School(バスタマンテ中・高校)で教育を受けました。

教会や学校の合唱団で歌うことによって見出された彼は、1974年にデビューシングル「Searching In The Hills(サーチング・イン・ザ・ヒルズ)」を収録。わずか14歳で他にも興味を持っていたため、音楽をキャリアとするつもりはありませんでした。残念ながら 「Searching In The Hills(サーチング・イン・ザ・ヒルズ)」の売り上げは振るわなかったため、彼は失望感を強く感じてしばらくの間、音楽業界を離れました。

次の5年間、COCOA TEAはまず騎手になり、その後、漁師として働きました。釣りをしながら音楽のキャリアを企画し始め、地元のダンスホールへライブに来たバンドの音響システムを使って自分で作った詞を歌ってみた。

ダンスホールでの成功によって奮起し、音楽の道を進むように励まされたことから、彼は作曲とボーカルのレッスンを始めました。きっかけとなった出来事は彼の最初の子供が生まれたこと。安定した生計を立てたいという欲求から、フルタイムで音楽に没頭しました。

1983年12月にダンスホールで印象的なパフォーマンスを行った2か月後、 COCOA TEAはジャマイカのキングストンに行き、レコード・プロデュサーHenry “Junjo” Lawes(ヘンリー・ジュンジョ・ラーズ)に会いました。「Who's The Champion(フーズ・ザ・チャンピオン)」と初の大ヒット曲「Rocking Dolly(ロッキング・ドーリー)」は二人の最初の共同作品となり、その後ペアとして成功することになります。これらの曲と「Christmas Is Coming(クリスマス・イズ・カミング)」、「On Top Of The World(オン・トップ・オブ・ザ・ワールド)」、そして次の大ヒット曲「I Lost My Sonia(アイ・ロスト・マイ・ソニア)」は、彼のファーストアルバム「I Lost My Sonia(アイ・ロスト・マイ・ソニア)」に収録。
                                    
1985年、COCOA TEAはラスタファリ宗教運動の実践者(ラスタファリアン)になりました。これは、「Settle Down(セトル・ダウン)」、「Don't Be Shy(ドント・ビー・シャイ)」、「Too Much Fussing And Fighting(ツー・マッチ・ファッシング・アンド・ファイティング)」、「I've Gotta Love You(アイブ・ゴッタ・ラブ・ユー)」、「86 Flood(エイティーシックス・フラッド)」、「Highest Mountain(ハイエスト・マウンテイン)」、「Tune In(チューン・イン)」、「Crying Time(クライイング・タイム)」、「Must Unite(マスト・ユナイト)」、「Come Again(カム・アゲイン)」などの曲に表現されています。「Come Again(カム・アゲイン)」と「Settle Down(セトル・ダウン)」はレーベルKing Jammy's(キング・ジャミーズ)からリリースした4番目のアルバムに収録。その他の曲はアルバム「Mr. COCOA TEA(ミスター・ココ・ティー)」と「Come Again(カム・アゲイン)」に収録。
                        
シングル「Rikers Island(ライカーズ・アイランド)」は、アメリカとイギリスで1位となり、同タイトルの5番目のアルバムを次にリリース。ヒット曲「One Woman Show(ワン・ウーマン・ショー)」はこのアルバムに収録。

中東戦争について最も物議を醸した曲「Oil Ting(オイル・ティング)」は、あまりにもスキャンダルだとみなされたため、イギリスで禁止されましたが、アメリカでは1位になりました。「Oil Ting(オイル・ティング)」の後に「No Blood For Oil(ノー・ブラッド・フォア・オイル)」、「What's Gonna Happen After the War(ワッツ・ガンナ・ハペン・アフター・ザ・ウォー)」と「Ruling Cowboy(ルーリング・カウボーイ)」をリリース。

COCOA TEAの6番目のアルバム「Authorized(オーソライズッド」はヒット曲「May Day(メー・デー)」、「One Away Woman(ワン・アウェイ・ウーマン)」、「Hunted- Wanted(ハンテッド・ワンテッド)」と「Evaluation(エバリュエーション)」を収録。

「Bust Outta Hell(バスト・アウター・ヘッル)」や「Kingston Hot(キングストン・ホット)」など、他のいくつかのシングルも、伝説のレコード・プロデュサーJunjo Lawes (ジュンジョ・ラーズ)のVolcano Label(ボルケーノ・レーベル)によるリリース。 

COCOA TEAは1984年から世界中でパフォーマンスを行っており、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ、カリブ海、そして日本のツアーを幅広く行っています。地元ではすべての主要なコンサートで定期的に活動しており、1987年以来毎年(1989年を除く)レゲエのトップイベントであるReggae Sunsplash(レゲエ・サンスプラッシュ)に出演しています。

これまでに彼にとって最も印象的だったパフォーマンス選:

★ 1987年Reggae Sunsplash(レゲエ・サンスプラッシュ)の初出演

★ カナダでの2時間歌い続けたショー

★ 画期的な成果となった、1万人の観客を前にした降り注ぐ雨の中でSt. Croix(セント・クロイ)の演奏

★ 約100万人が参加した1991年Reggae Japan Splash(レゲエ・ジャパン・スプラッシュ)での演奏

COCOA TEAというステージ名の由来は、ホットココア(ジャマイカの田舎でココティーと呼ばれる)への愛情から。Jah(ジャー=ラスタファリアンの神様)からインスピレーションを得ています。彼の目標は、非常に賞賛している偉大なボブ・マーリーのような模範的な人物となること、そして学習やインスピレーションの源となること。


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